Johnny Gillの「My, My, My」は、1990年にリリースされた、R&Bの歴史に刻まれるスロー・ジャムの名曲だ。サンプリング元は存在せず、BabyfaceとDaryl Simmonsによるオリジナル楽曲で、Kenny Gのサックスソロ、After 7のバッキングボーカルが絡み合う贅沢な一曲。全米R&Bチャートで2週連続首位、Billboard Hot 100でもトップ10を記録し、30年後には世代を超えてLil Moseyの「Blueberry Faygo」に形を変えて全米8位を叩き出した。
🎧 クイック概要:10秒でわかる基本データ
| アーティスト / 曲名 | Johnny Gill / My, My, My |
| 収録アルバム | Johnny Gill(1990年、Motown Records) |
| サンプリング元 | なし(オリジナル楽曲) |
| 最高位 | 全米R&Bチャート 1位(2週 Billboard Hot 100 10位 |
「俺のバージョンはまあまあだった」——Babyfaceが先に録っていた曲

まずこのエピソードから入らなければ、「My, My, My」という曲の本質は伝わらない。 この曲はもともと、作曲者であるBabyface(Kenneth “Babyface” Edmonds)本人が先にレコーディングしていた。だがBabyfaceは後にBillboard誌にこう語っている。
「俺のバージョンはまあまあだった。でもJohnnyが自分の曲にしてしまった」(Babyface)
「まあまあ」と作者に言わしめた曲を、Johnnyは自身の代表曲に変えてしまった。この事実だけで、Johnny Gillという歌手の声がいかに特別だったかが分かる。 曲を書いたのはL.A. Reid、Babyface、そしてDaryl Simmonsの3人だ。 SimmonsはインディアナポリスでBabyfaceと10代の頃から友人関係にある「サイレント・パートナー」的存在で、2人のデモ提示スタイルはかなりユニークだった。正式なデモ音源は作らず、Babyfaceが鍵盤でメロディを弾き、Simmonsが歌詞を担当。そして2人でアカペラに近い形でアーティストに「プレゼン」するのだ。 Simmonsはそのときの様子をインタビューでこう振り返っている。
「歌詞は書いてあって、Kennyがメロディをテープレコーダーに入れる。でも頭の中で歌えた。Kennyが"一緒に歌って"って言う。私が続く。Johnny Gillは"Oh Man, 最高だ!ください!"って言った。"いいよ、あんたのものだ"と言った。それが俺たちのやり方だった」(Daryl Simmons)
Johnny Gillの即座の「ください!」という反応が、すべてを決めた瞬間だった。
それでもGill本人は「この曲、本当にいいのか?」と迷っていた

受け取ったJohnny Gill本人は、しかし確信を持てずにいた。
「初めて"My, My, My"を聴いたとき、Jimmy & Terryに聴かせて、ゴッドファーザーにも聴かせて言った。"この曲、どうかな"ってね。プロジェクトに近すぎて、どれも"良い"と思えなかった時期だった」(Johnny Gill)
Johnny自身は「フェンスの上にいた(決めかねていた)」と表現し、最終的にMotownの社長Jheryl BusbyとTerry Lewisから背中を押されたと明かしている。
「Jheryl BusbyとTerry Lewisから"これがあなたのシグネチャーソングになる"と言われた。確信はなかった。嫌いじゃないけど、確信が持てなかった」(Johnny Gill)
Babyfaceは「まあまあ」と言い、Johnnyは「どうかな」と迷っていた。その曲が全米R&B1位になり、30年後も世界中で聴かれ続けることになるとは、当時の誰も思っていなかっただろう。 ちなみにGillのバラードへの向き合い方にも独自のこだわりがある。「バラードは紙を見ながら歌うのではなく、一日聴き込んで言葉を覚えてから、録音に臨む」というスタイルだ。あの曲が纏う親密さと説得力は、そういう姿勢から生まれている。
New Edition活動休止——最強プロデューサー陣がJohnnyを待っていた

「My, My, My」が生まれた背景には、Johnny Gillのキャリアの転換点がある。Johnnyは1987年に、Boston出身のNew Editionに唯一のワシントンD.C.出身メンバーとして加入した。Bobby Brownが脱退した後、ソロ活動を考えていたRalph Tresvantの後任候補として、Michael Bivinsに声をかけられての加入だった。 幼少期から牧師の父のもとで育ち、5歳のときに兄弟たちと教会の家族グループ「Little Johnny and Wings of Faith」として歌い始めた。磨かれてきた声量はNew Edition版「Boys to Men」などで発揮され、グループに「大人のサウンド」をもたらした。
1990年、New Editionがツアーを終えてメンバーそれぞれが活動休止に入った。Bobby Brownはすでに「My Prerogative」でスター街道を走り、Ralph Tresvantも独自のソロ活動を動き出していた。Bell Biv DeVoeとして動いたメンバーもいる中、GillもMotownレコードとのソロ契約のもとアルバムの制作に入る。 そこで揃ったのが、当時最強と呼ばれた2組のプロデューサーチームだった。
「あれがJimmy Jam & Terry LewisとL.A. & Babyfaceを一つのアルバムに揃えた最初の機会だった。あれが俺の決定的な瞬間だった」(Johnny Gill)
Janet Jacksonとの仕事で知られるJimmy Jam & Terry Lewis、そしてL.A. Reid & Babyfaceという布陣のもとで作られたアルバム『Johnny Gill』は、1990年4月17日にリリースされた。
Kenny Gのサックス、Babyfaceの兄たちのコーラス——贅沢すぎる顔ぶれ

「My, My, My」がほかの曲と一線を画す理由のひとつが、ゲスト陣の豪華さだ。 曲の冒頭から流れるソプラノサックスのソロを担当しているのが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったKenny G(本名:Kenneth Gorelick)だ。あのイントロだけで曲の世界観が一瞬で決まる。 バッキングボーカルを務めるAfter 7には、面白い事情がある。このグループはBabyfaceことKenneth Edmondsの兄たち——Melvin EdmondsとKevon Edmonds——にKeith Mitchellを加えた構成だ。 つまりBabyfaceが書いた曲をBabyfaceの兄たちが歌うという、ほぼ「Edmonds家の総力戦」と言える一曲だ。
さらにシングルの冒頭で語りかける「スポークン・ワード」(朗読パート)を担当しているのもAfter 7のMelvin Edmonds。あの親密なイントロが「部屋の中で二人きり」という特別な空気を作り出している。 レコーディングはアトランタのStudio LaCoCoとハリウッドのGalaxy Sound Studiosで行われた。Babyfaceがキーボード、L.A. Reidがドラムとパーカッション、KayoことKevin Robersonがベースを担当し、エンジニアはJon GassとLouis Padgettが務めた。
歌詞の世界観——赤いドレス、ハイヒール、今夜だけの時間
「My, My, My」の歌詞は、ある女性の美しさに心を奪われた男の視点で描かれるオーソドックスなスロー・ジャムだ。 赤いドレス、ハイヒール、香水——そして寝室でのナイトガウン。「Tonight will be a special night」「I wanna make love to you」といったフレーズが、扇情的でありながら品のある言葉でまとめられている。
タイトルでもあるコーラスの「My, my, my」というリフレインは、言葉では追いつかない感嘆そのものを体現したフレーズだ。シンプルすぎるくらいシンプルだが、だからこそ時代や言語を超えて届く力がある。 曲の流れも計算されている。Kenny Gのサックスイントロから始まり、After 7のバッキングボーカルが空気を温め、コーラスでGillが「my」を音を上下させながら繰り返すクライマックスへと向かう構成は、3分かそこらで完結する映画のようだ。 なお、曲のインスピレーションについてSimmonsはのちのインタビューでこう笑って明かしている。
「アパートのそばでよく見かけた女性がいてね。彼女は自分がこの曲を生んだとは知らないと思う」(Daryl Simmons)
全米R&B複数1位、ソウル・トレイン賞、グラミーノミネート——記録の証明

1990年5月16日にシングルとしてリリースされた「My, My, My」は、全米R&Bチャートで7月14日に1位を獲得し、2週連続でその座を守った。 これはJohnnyにとって、同アルバムの先行シングル「Rub You the Right Way」に続く2作連続の全米R&B1位だった。このアルバムからは計4枚のシングルが切られ、「Rub You the Right Way」「My, My, My」「Wrap My Body Tight」の3曲がR&B1位を獲得した(「Fairweather Friend」はR&B2位)。 Billboard Hot 100では最高10位、Adult Contemporaryチャートでも32位に入った。JohnnyがAdult Contemporaryチャートにランクインしたのはこの曲が唯一の記録だ。
翌1991年の第5回Soul Train Music AwardsではBest R&B/Soul Single, Male(最優秀R&B/ソウル・シングル 男性部門)を受賞。L.A. Reid、Babyface、Daryl Simmonsの3人はこのソングライティングでグラミーのBest R&B Song部門にノミネートもされた(受賞は逃した)。 アルバム「Johnny Gill」はアメリカだけで約200万枚以上(1991年2月時点)、全世界では400万枚超のセールスを記録し、Gillのソロキャリア最大の成功作となった。
30年後、Lil Moseyが「My, My, My」を全米8位に蘇らせた
「My, My, My」の生命力を証明した最大の出来事が、2020年のLil Moseyによる「Blueberry Faygo」だ。 プロデューサーCallanが「My, My, My」のメロディをピッチアップ(速くしてキーを上げる)してループさせ、霧がかかったような浮遊感のあるトラップビートを制作。その上にLil Moseyがゆるいフロウを乗せた。 この曲はリリース前から波乱含みだった。2019年6月5日にリークされ、「Blueberry Fuego」「Blueberry Fayego」など偽名義で何度もSpotifyに無断アップロードされた。削除される前に2200万ストリームに達したこともあったという。「My, My, My」のサンプルクリアランス交渉が必要だったこともあり、正式リリースは2020年2月7日にずれ込んだ。 Rolling Stone誌がJohnny Gill本人に「Blueberry Faygo」を聴かせたときの反応が印象的だ。
「あいつが書いてくれてれば良かったのに(笑)。俺たちがやってきたことに、世代を超えた世代がまだインスパイアされ、学んでいることが嬉しい。自分の名前が世に出続けてくれる」(Johnny Gill)
「Blueberry Faygo」はBillboard Hot 100で最高8位を記録し、2022年2月にはSpotifyで10億ストリームを突破する大ヒットとなった。30年以上前のバラードが形を変えて全米トップ10に返り咲いた。
Ariana Grande、R. Kelly——世代をまたいで使われ続けた理由

「My, My, My」は「Blueberry Faygo」だけでなく、長年にわたって多くのアーティストに引用されてきた。Kenny Gのサックスフレーズの印象的さと、Babyfaceが生み出したメロディの「使いやすさ」が、その理由のひとつだろう。
1990年にはサックス奏者のGerald Albrightがインスト・カバーをアルバム「Dream Come True」に収録。1998年にはR. Kelly feat. Keith Murrayの「Home Alone」でサンプリングとして使用された。
2015年にはノルウェーのDJ Cashmere CatとAriana Grandeのコラボ曲「Adore」(2015年3月3日リリース)で、「My, My, My」のメロディをインタポレーション(再演奏で引用)する形で使用され、Arianaが「My, my, my, ma-ma, my, my」と叫ぶパートがMTV誌で話題になった。
なお、BabyfaceはSZA「Snooze」(2022年)の共同プロデューサー・共同作曲者として参加しており、2023年にBillboard Hot 100のTop 10にプロデューサーとして長年ぶりに返り咲いた。これは「My, My, My」のサンプリングによるものではないが、Babyfaceというソングライターが「My, My, My」から現在まで一本の線で繋がっていることを示す出来事だ。
Babyfaceという「黄金の糸」——ファミリー総出で作られた名曲
「My, My, My」を語るうえでBabyfaceの存在を外すことはできない。曲の共同作曲者であり、プロデューサーでもあり、バッキングボーカルのAfter 7(兄たちのグループ)まで含めると、この曲はほぼ「Babyfaceとその家族が作った曲をJohnny Gillが歌った」と言える作品だ。 BabyfaceはAmerican Songwriterのインタビューで自身の作曲の原点をこう語っている。
「音楽を書くことは、私の声だった。若い頃は好きな子に直接言えなかった。だから歌に書いた。彼女には聴かせなかったけど、それをやれることが良かった」(Babyface)
後にBabyfaceはToni Braxton、Boyz II Men、Whitney Houston、TLCなど無数のヒットを生み出す。「My, My, My」はその黄金時代の最初期を象徴する一曲だ。
まとめ——「まあまあ」と「どうかな」から生まれた、永遠の名曲
「My, My, My」の話には、妙なアイロニーがある。 Babyfaceは「俺のバージョンはまあまあだった」と言い、Johnny Gillは「この曲、どうかな」と迷っていた。それでもKenny Gのサックスが曲の入り口を決め、Babyfaceの兄たちのコーラスが空気を温め、Gillが声を乗せた瞬間——誰も予想していなかった何かが完成した。 全米R&B1位(アルバムから3曲)、Hot 100トップ10、ソウル・トレイン賞受賞。そして30年後、世代を超えてLil Moseyの最大ヒットに受け継がれた。 「確信が持てなかった」とGillが言ったその曲が、今やGillというアーティストそのものになっている。不確かな気持ちから生まれた曲が永遠の名曲になることがある——「My, My, My」はその生きた証明だ。
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