1995年。ヒップホップ・シーンが暴力的なギャングスタ・ラップに染まる中、ある一曲が異彩を放った。Skee-Lo(スキー・ロー)の「I Wish」である。
「もしも俺が、もう少し背が高かったら…」
誰もが心に隠し持つような「弱さ」や「願望」を、軽妙なユーモアでラップしたこの曲は、瞬く間に全米の共感を獲得。Billboard Hot 100で最高13位を記録する大ヒットとなった。
しかし、この青春アンセムの裏には、地下シーンで磨かれた確かな技術と、成功の陰で直面したあまりにも苦い現実が刻まれている。これは、一人の男が「もしも」を歌い、そして自らの権利を掴み取るまでの物語である。
Skee-Lo – I Wish (1995)
「もしも」の原点:挫折と願望リスト
Skee-Lo(本名:Antoine Roundtree)はシカゴで生まれ、幼少期をニューヨーク州ポキプシーで過ごし、ヒップホップの熱に触れた。1985年、彼がLAへ移ったのは、まだ10歳でラップに興味を持ち始めた頃だった。
「I Wish」の歌詞が生まれたのは、彼が大学(El Camino College)で成績不振に陥り、「学校以外にやることを探していた」という、最も落ち込んでいた時期だ。彼はノートに、自らの「願望リスト」を書き出した。
「もし背が高ければ」「もし女の子の目を引ければ」「もしラップがもっと売れていれば」
彼自身が「自分を救うための曲だった」と語るように、その歌詞は痛々しいほどストレートな、彼自身の弱さの告白だった。
地下での研鑽:ビートメイカーからラッパーへ

だが、彼はただ嘆いていただけではない。LAのヒップホップ・シーンは、彼にとって格好の学び舎となった。彼は伝説的なインディー・オープンマイク「The Good Life Cafe」や「Project Blowed」の場で、その才能を磨き続けた。「この瞬間、ヒップホップはニューヨークだけのものじゃないと感じた」と彼が語るほど、LAのシーンは活気に満ちていた。
興味深いことに、彼がまず評価されたのはラップではなく、プロダクション(ビート作り)だった。「O.G. MCたちに毎週木曜、無料でビートを提供した」という逸話が残っており、「Skee-Loがビートを出した」という口コミが、次第に彼にマイク前での出番をもたらした。こうして彼は、ラッパーとしてのスタイルを確立していったのだ。
ヒットの閃き:「Spinnin’」との出会い
ある日、彼はBernard Wright (バーナード・ライト)の名曲「Spinnin’」を流しながら部屋を掃除していた。その時、耳に飛び込んできたホーン・セクションのフレーズ。彼はそこに「カジノ、海辺、ボートのような雰囲気」を感じ取り、即座にサンプラー(AKAI MPC60)を起動させた。
「これはヒットになる」
その直感を信じ、ビート制作を開始。書き溜めていた「願望リスト」の歌詞が、このビートと結びついた瞬間だった。
完成した曲を、まずは古巣であるGood Lifeのオープンマイクで披露。初披露の夜から強い反応を得て、二週後には「“殺った(killed)”」と本人が語るほどの熱狂を生み出した。現場での確かな手応えが、彼をレコーディングへと向かわせた。
そして、この瞬間に生まれたのが、後にヒップホップ史に残る名曲「I Wish」の原型であり、そのサンプリング元となる「Spinnin’」の魔法だった。
Bernard Wright – Spinnin’ (1981)
成功、そして最大の皮肉
「I Wish」は、耳に残るフックとポップな構成を持ち、派手さはないが歌詞とビートが見事に融合した名曲として完成した。ミュージックビデオでは、バスケットボールで負けたり、古い車を駆ったりと、歌詞の世界をコミカルに映像化。これがラジオだけでなく映像メディアでも強く訴求した。
結果は、デビュー作にして大成功。シングルは全米13位、アルバム『I Wish』と共にゴールドディスク認定。アルバムはグラミー賞の「最優秀ラップ・アルバム」部門にノミネートされたとも本人は語っている。
しかし、ヒットの裏でSkee-Loを待っていたのは、成功の甘い蜜ではなく、苦難の始まりだった。
契約したレーベル「Sunshine Records」は、15万ドルの前払いと引き換えに、彼の出版権やプロダクション・クレジットを奪おうとしたのだ。Skee-Loは激怒した。「自分は奴隷じゃない。もう動画も撮らないし、プロモーションもしない」。
彼は、ヒットからわずか5ヶ月で音楽業界を離れるという、衝撃的な決断を下した。
戦いと奪還:真の「資産」

Skee-Loの「I Wish(願望)」は、今や「自分の権利を取り戻したい」という切実な戦いとなった。彼は、5年にもわたる法廷闘争に身を投じる。
そして、ついに彼は自らの出版権を奪還した。後に彼はこう語っている。「すべてのラッパーが知るべきなのは、自分の出版、ライティング、素材を所有することだ」。これこそが、彼が長く活動を続けられた要因の一つとなった。
「I Wish」は、彼が戦い取った「権利」によって、単なる90年代の懐メロでは終わらなかった。CMや映画、TV番組でライセンスされ続け、2013年には大手企業のスーパーボウル用CMにも起用された。彼によれば「それは数百万ドルの価値がある」という。
Skee-Lo自身も、この曲が看板であることを否定しつつ、「このアルバム全体に誇りを持っている。10曲全てがグラミー対象レベルだった」と語っている。
なぜ「I Wish」は今も響くのか
「I Wish」が時代を超えて愛され続ける理由は、その等身大の視点にある。技巧的なラップや大がかりなプロダクションではなく、「欠点だらけの自分」と「叶えたい願い」を、ユーモアを込めてポップに落とし込んだ。
地下のオープンマイクでビートを作り、ラップを磨き、夢を掴んだ姿。そして、成功の直後に直面した理不尽と戦い、クリエイターとしての権利を勝ち取った姿。
この曲は、Skee-Lo自身の人生という「物語」そのものであり、だからこそ、今もなお多くの人々の心に響き、共感と支えを与え続けているのである。



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