2002年に発表されたEminem (エミネム)の4枚目のアルバム『The Eminem Show』は、Eminem自身がほとんどの楽曲をプロデュースし、リリース初日に28万枚以上を売り上げ、全米アルバムチャートで第1位を獲得しました。
これは、1日の売り上げでアルバムがチャートのトップに立った初めての例となりました。その後も、5週連続で同チャートの首位を保持し、2002年にアメリカで最も売れたアルバムとなりました。さらに、同年に世界でも最も売れたアルバムとなり、これまでに2700万枚を売り上げました。これは音楽史上最も売れたヒップホップアルバムであり、Eminemにとって現在までで最も商業的に成功したアルバムです。
今回は、このアルバムに収録された『Without Me』(2002)の元ネタや背景について解説します。
Eminem – Without Me (2002)
『Without Me』楽曲情報
リリース日
2002年5月26日
レーベル
Shady Records
Interscope Records
Aftermath Entertainment
プロデューサー
Jeff Bass
DJ Head
Eminem
元ネタ・サンプリング
Malcolm McLaren – Buffalo Gals (1982)
『Without Me』元ネタ・サンプリング情報
Malcolm McLaren – Buffalo Gals (1982)
元ネタになったのは、イギリス出身のミュージシャンMalcolm McLaren (マルコム・マクラーレン)の『Buffalo Gals』(1982)です。
Malcolm McLarenはファッションデザイナーと共にブティックを経営し、この店はパンク・ファッションの中心地となり、1970年代のパンクムーブメントにおいて重要な役割を果たしました。また、彼はパンクロックバンド、セックス・ピストルズのマネージャーとしても知られており、彼の過激なプロモーション戦略はバンドの成功を後押しし、パンクロックの象徴としての地位を確立しました。
そして、1980年代には、ロンドンを拠点とする他のアーティストのマネージメントを続けながら、Malcolm McLarenは自らもソロアーティストとして活動し、1983年にアルバム『Duck Rock』をリリースしました。
この『Buffalo Gals』は、1982年にシングルとしてリリースされ、アルバム『Duck Rock』にも収録されました。この曲のアイデアは、Malcolm McLarenがニューヨークでバンドBow Wow Wowのサポートアクトを探していた際に生まれました。
彼はAfrika BambaataaとUniversal Zulu Nationによる「ブロック・パーティー」に参加し、そこで初めてヒップホップに触れたのです。アメリカのヒップホップシーンの急成長を目の当たりにしたMalcolm McLarenは、後に『Buffalo Gals』がイギリスのヒップホップシーンに影響を与える1曲となることを予見しました。
世界を席巻した『Without Me』の衝撃
Eminemのキャリア史上最も成功を収めたアルバム『The Eminem Show』からリリースされたリードシングル『Without Me』は、前作アルバム『The Marshall Mathers LP』(2000)からの復帰を宣言し、音楽業界や社会における自身の影響力を誇示しています。
彼は、自らが引き起こす論争とそれがシーンにどのように活気をもたらしているかを歌っており、ファンが彼の別名「シェイディ」を求めることに応じ、メディアや規制当局との対立を楽しんでいます。さらに、他のアーティストやセレブリティを批判し、自分が注目の的であることを強調しています。
この曲は世界15カ国のチャートで1位を獲得し、グラミー賞では「最優秀短編ミュージックビデオ賞」を受賞するなど、大きな成功を収めました。また、グラミー賞の「年間最優秀レコード賞」にもノミネートされました。
さらに、リリースから20年以上が経った2024年、Eminemが発表したシングル『Houdini』では、『Without Me』のフレーズをサンプリングし、Dr. Dreや50 Cent、Snoop Doggなどのラッパーたちがカメオ出演するなど、多くのファンやメディアから注目を集めました。
コメント