元ネタ・サンプリング Mark Ronson feat. Ghostface Killah, Nate Dogg, Trife & Saigon – Ooh Wee (2003) 150組以上にカバーされている名曲をサンプリング!

2000年代
2000年代M
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イギリス・ロンドンで生まれ、ニューヨークで育ったMark Ronson (マーク・ロンソン)は、大学在学中にDJとしてキャリアをスタートさせます。

彼はファンク、ヒップホップ、ロックをミックスしたDJプレイで幅広いオーディエンスを魅了し、1999年にはトミーヒルフィガーの広告モデルを務めました。

トミーヒルフィガーの広告用ビートを制作した後、プロデューサーに転身し、Elektra Recordsと契約。

2003年にデビューアルバム「Here Comes the Fuzz」をリリースし、Q-TipMos DefM.O.P.FreewayAnthony HamiltonSean Paulなど、デビュー作とは思えない豪華なアーティストが参加しています。

今回はこのアルバムからNate Dogg (ネイト・ドッグ)Ghostface Killah (ゴーストフェイス・キラー)らが参加した「Ooh Wee」(2003)をピックアップ。

ここでは、この曲の元ネタについて解説します。

Mark Ronson feat. Ghostface Killah, Nate Dogg, Trife & Saigon – Ooh Wee (2003)

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楽曲情報

Mark Ronson (マーク・ロンソン)
出身地 :イギリス、ロンドン
生年月日:1975年9月4日
ジャンル:Funk, Hip Hop

Nate Dogg (ネイト・ドッグ)
出身地 :カリフォルニア州ロングビーチ
生年月日:1969年8月19日
ジャンル:R&B, Hip Hop
所属  :213
没年月日:2011年3月15日 (41歳)

Ghostface Killah (ゴーストフェイス・キラー)
出身地 :ニューヨーク、スタテンアイランド
生年月日:1970年5月9日
ジャンル:Hip Hop
所属  :Wu-Tang Clan

Trife Diesel
出身地 :ニューヨーク、スタテンアイランド
生年月日:1980年7月11日
ジャンル:Hip Hop

Saigon
出身地 :ニューヨーク、ブルックリン
生年月日:1977年7月13日
ジャンル:Hip Hop

レーベル
Elektra Records

プロデューサー
Mark Ronson

元ネタ・サンプリング
Boney M. – Sunny (1976)
Dennis Coffey – Son of Scorpio (1972)

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“Ooh Wee” 元ネタ・サンプリング ①

Boney M. – Sunny (1976)

元ネタになったのは、ドイツで結成されたボーカルグループBoney M. (ボニーM)「Sunny」(1976)です。

この曲は、彼女たちのデビューアルバム「Take the Heat off Me」(1976)に収録され、アルバムはスウェーデンとフィンランドのチャートで1位を獲得するなど、ヨーロッパを中心に大ヒットしました。

アルバムに収録された「Sunny」もドイツ、フランスなど5カ国以上のチャートで1位に輝くなぢ、世界的なヒットソングでも知られています。

また今作は、1966年にBobby Hebbがリリースした「Sunny」のカバーで、これまでに150組以上のアーティストによってカバーされた名曲です。

Bobby Hebb – Sunny (1966)

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“Ooh Wee” 元ネタ・サンプリング ②

Dennis Coffey – Son of Scorpio (1972)

Mark Ronson「Ooh Wee」は、ミシガン州デトロイト出身のギタリストDennis Coffey (デニス・コフィー)「Son of Scorpio」(1972)もサンプリングしています。

この曲は、彼のアルバム「Electric Coffey」(1972)に収録。

「Ooh Wee」ではドラム部分を引用していますが、Eric B. & Rakimはイントロをサンプリングしています。

Eric B. & Rakim – Put Your Hands Together (1988)

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終わりに

Boney Mをサンプリングした経緯について、Mark Ronsonは次のように明かしています。

映画「ブギーナイツ」を観たとき、そのストリングの断片を少し聞いたことがあったんだ。
それはボニーMの「サニー」のカバーだったんだ。
サウンドトラックには入っていなかったから、映画の終わりのクレジットを見てボニーMのシーンを把握し、それをフックに合わせてこのドラムに乗せたんだ。

また前述したアルバム「Here Comes the Fuzz」は、アメリカではわずか1万8000枚しか売れず、商業的には失敗に終わりました。

Mark Ronsonはアメリカでの失敗について「12人しか買っていない」と冗談を交えながらもイギリスに帰国し、そこでLily Allenと出会ったことを明かしています。

アメリカではトップ100にも入らなかったと思うけど、みんなそのビートを知っていたよ。
この曲はイギリスでマイナーなヒットになり、そのおかげで俺はイギリスのクラブでたくさんDJをするようになったんだ。
結局、それがきっかけでリリー・アレンに出会ったんだ。

この機会に、元ネタと併せて聴いてみてはいかがでしょうか。

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