1995年にRoc-A-Fella Recordsを立ち上げたJay-Z (ジェイ・Z)は、翌年にデビューアルバム「Reasonable Doubt」(1996) をリリース。
1998年に発表したアルバム「Vol.2… Hard Knock Life」は、自身初の全米チャート1位を獲得し、アメリカ国内だけで500万枚を超えるセールスを記録しています。
そんな彼が、1999年に4枚目のアルバム「Vol. 3… Life and Times of S. Carter」をリリースし、発売初週に46万枚以上のセールスを記録。
これは前作の「Vol.2… Hard Knock Life」の初週売り上げより30パーセントも多く、2作連続で全米チャート1位を獲得しました。
今回はこのアルバムから、Timbalandがプロデュースし、ラップデュオUGK (ユージーケー)が参加した「Big Pimpin’」(1999)をピックアップ。
ここでは、この曲の元ネタについて解説します。
Jay-Z feat. UGK – Big Pimpin’ (1999)
楽曲情報
Jay-Z (ジェイ・Z)
出身地 :ニューヨーク、ブルックリン
生年月日:1973年12月4日
ジャンル:Hip Hop
UGK (ユージーケー)
結成 :1987年
ジャンル:Hip Hop
メンバー:Pimp C, Bun B
レーベル
Roc-A-Fella Records
Def Jam Recordings
プロデューサー
Timbaland
元ネタ・サンプリング
Hossam Ramzy – Khusara Khusara (1994)
“Big Pimpin’” 元ネタ・サンプリング
Hossam Ramzy – Khusara Khusara (1994)
元ネタになったのは、エジプト出身のパーカッション奏者Hossam Ramzy (ホッサム・ラムジー)の「Khusara Khusara」(1994)です。
この曲は、コンピレーションアルバム「Best of Mohammed Abdul Wahab」(1994)に収録しています。
また2007年、この曲の著作権の共同所有者であるOsama Ahmed Fahmyが、Timbalandに対し著作権侵害でロサンゼルス連邦裁判所に提訴し、物議を醸しました。
被告人には、Jay-Z、Timbaland、さらにはLinkin Parkも含まれており、これはJay-ZとのコラボEPに「Big Pimpin/Papercut」が収録されていたためです。
しかし、この訴訟は2015年に棄却され、Jay-ZとTimbalandはサンプリングしたにも関わらず勝訴しました。
JAY-Z & Linkin Park – Big Pimpin’ / Papercut (2004)
終わりに
楽曲に参加したUGKのPimp Cは、この曲のビートが嫌いで、当初はラップするのを拒否していたと明かしています。
俺にはポップな曲に聞こえたんだ。やりたくなかったんだ。 その方向性を人々がどう受け止めるか分からなかったから、怖かったんだ。 でも、ジェイが『いいか、俺たちは家族だ』と言ったのを覚えている。 『君のキャリアで一番大きな作品になるんだ。自分のためにやらないなら、俺のためにやってくれ』ってね。 俺はそれで十分だと思ったから、やったんだ。
Jay-ZがPimp Cを説得して参加させたこの曲は、後にローリングストーン誌の「史上最も偉大な500曲」に選ばれる名曲になりました。
しかし一方でJay-Zは後に、自分のリリックの内容に恥ずかしさを感じていると明かしています。
歌詞の中には、文章で見ると本当に深くなるものがある。 でも『Big Pimpin'』は違う。 自分が言ったなんて思えないような内容なんだ。 どんな動物がこんなことを言うんだろう?って。
この機会に、元ネタと併せて聞いてみてはいかがでしょうか。
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