Wu-Tang Clan (ウータン・クラン)の「C.R.E.A.M.」という曲について語る時、我々はしばしば、この曲が持つ真の重みを読み違えてしまう。1993年、東海岸ヒップホップの新時代を切り開いた歴史的傑作『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』に収録されたこの一曲は、単なる「金への執着」を歌った成功談ではない。
むしろ、金という絶対的な力に支配され、抗いようのない現実の中で「どう生き延びるか」を淡々と綴った、冷徹で美しい生存記録なのだ。
Wu-Tang Clan – C.R.E.A.M. (1993)
言葉に宿る哲学 ── 「C.R.E.A.M.」の正体
この曲のタイトルは、ある強烈なフレーズの頭文字から取られている。
「Cash Rules Everything Around Me(金が俺の周りのすべてを支配している)」
もともとニューヨークのストリートで使われていたスラングに過ぎなかったこの言葉を、Wu-Tang Clanは世界に刻み込まれる「哲学」へと昇華させた。リーダーであるRZAは後にこう振り返っている。「これはただのスローガンじゃない。俺たちが見てきた“現実そのもの”なんだ」と。
制作初期には、「Lifestyles of the Mega-Rich(超富裕層のライフスタイル)」という皮肉めいた仮タイトルがあったとも語られている。この皮肉めいた初期案からも、彼らが描こうとしたのが華やかな成功などではなく、金がもたらす残酷な社会構造への批評であったことが伺える。
RZAが選んだ「出口のない音」
この曲の背骨となっているのは、RZAが手がけた極めて内省的なビートだ。 サンプリングされたのは、1967年のソウル曲、The Charmels (ザ・チャーメルズ)の「As Long As I’ve Got You」。原曲は温かみのあるバラードだが、RZAはそのピアノフレーズを切り取り、ピッチを落として反復させた。
The Charmels – As Long as I’ve Got You (1967)
そこに、かつての温もりはない。あるのは、出口のない迷路を彷徨うような、重く沈むループだ。RZAいわく、「あの音は、同じ景色、同じ思考を毎日繰り返すしかない、ストリートの閉塞感そのもの」だった。派手なホーンも力強いドラムもない。ただ静かに鳴り続けるピアノが、一度足を踏み入れたら抜け出せないストリートの深淵を音像化している。
3人の語り部が明かす「ドキュメント」

Wu-Tang Clanは10人組だが、この曲でマイクを握ったのはわずか3人。RZAが「最もリアルな語り部」として選んだ、Raekwon、Inspectah Deck、そしてフックを担当したMethod Manである。
- Raekwon:生存のための選択 第1ヴァースはまるで短編映画のようだ。貧困、ドラッグ、犯罪。Raekwonは、悪人になりたかったわけではなく、生き延びるための選択肢がそれしかなかった現実を描き出す。
- Inspectah Deck:生々しい告白 第2ヴァースは、ヒップホップ史上最も優れたリリックの一つに数えられる。刑務所での日々、仲間の死、そして後悔。脚色を排した「人生の回顧録」としての重みが、聴く者の心を抉る。
- Method Man:誤解されたフック 「Cash rules everything around me / C.R.E.A.M., get the money」。 このラインはあまりにも有名になり、金への賛歌だと誤解されることも多い。しかし、曲全体を通せば、これが「逃れられない支配構造への絶望的な認識」であることは明白だ。
売上を超え、普遍的な「遺産」へ
1994年1月31日にシングルカットされた「C.R.E.A.M.」は、Billboard Hot 100で最高60位という記録を残した。商業的な数字だけを見れば、爆発的なヒットとは言えないかもしれない。
しかし、時が経つにつれ、この曲の評価は盤石なものとなった。映画やドラマ、ドキュメンタリーなど、ヒップホップ文化を扱う数多くの作品の文脈で引用・参照され、無数のアーティストにサンプリングされてきた結果、今や「ヒップホップ史上最高の名曲」のランキングには欠かせない存在となった。
なぜ、30年以上経ってもこの曲は古びないのか。それは、この曲が扱うテーマがあまりにも普遍的だからだ。 「金がなければ生きられない。だが、金に支配されるほど自由を失う」 この矛盾は、現代社会においても形を変えて我々の前に立ちはだかっている。
結論 ── 「C.R.E.A.M.」は終わらない
「C.R.E.A.M.」は成功者の凱歌ではない。 それは、金がすべてを支配する冷酷な世界で、それでも一歩を踏み出そうとした人間たちの「声」である。
夢を叶える方法を教えるのではなく、現実をどう生き抜くかを突きつける。その飾らない誠実さがあるからこそ、この曲は今もなお、世界中でリアルに、重く、そして美しく響き続けているのだ。
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