Teddy Riley率いるR&BグループGuyが解散し、1993年に彼とプロデューサーのChauncey “Black” Hannibalによって結成したBlackstreet (ブラックストリート)。
彼らのデビューアルバム「Blackstreet」(1994)は「Booti Call」「Before I Let You Go」など6曲がシングルカットするヒットとなりました。
そんなBlackstreetのセカンドアルバム「Another Level 」(1996)は、R&Bチャートで5週に渡って1位を獲得し、400万枚以上のセールスを記録。
この作品から全米チャート1位に輝き、彼らの代名詞とも言えるシングル「No Diggity」をピックアップ。
Dr. Dre (ドクター・ドレー)とQueen Penが参加したこの曲のバックグラウンドと、元ネタについて解説します。
Blackstreet feat. Dr. Dre & Queen Pen – No Diggity (1996)
楽曲情報
Blackstreet (ブラックストリート)
結成 :1993年
ジャンル:R&B
Dr. Dre (ドクター・ドレー)
出身地 :カリフォルニア州コンプトン
生年月日:1965年2月18日
ジャンル:Hip Hop
Queen Pen
出身地 :ニューヨーク、ブルックリン
生年月日:1972年
ジャンル:Hip Hop
レーベル
Interscope Records
プロデューサー
Teddy Riley
William “Skylz” Stewart
元ネタ・サンプリング
Bill Withers – Grandma’s Hands (1971)
“No Diggity” 元ネタ・サンプリング
Bill Withers – Grandma’s Hands (1971)
元ネタとなったのはウェストバージニア州スラブ・フォーク出身のシンガーBill Withers (ビル・ウィザース)の「Grandma’s Hands」(1971)です。
この曲は彼のデビューアルバム「Just as I Am」(1971)に収録し、アルバムは全米ブラックアルバムチャート5位にランクイン。
音楽メディア誌Rolling Stoneが選出する「500 Greatest Albums of All Time」では304位にランクイン。
また収録曲の「Ain’t No Sunshine」もRolling Stone誌による「500 Greatest Songs of All Time」で280位に選ばれるなど、音楽史に名を刻む作品になりました。
No Diggity
メンバーでありこの曲のプロデューサーを務めているTeddy Rileyは、当初Guyに「No Diggity」の提供を打診していました。
しかしGuyのメンバーであるAaron Hallが、レコーディングに参加を拒否。これによりTeddy RileyはBlackstreetに楽曲提供することになりました。
しかしBlackstreetのメンバーもこの曲は不評であったことをTeddy Rileyは明かしています。
みんな "No Diggity" が好きじゃないんだ。誰一人として。 彼らはそれさえも言ってしまう。だから僕が最初のヴァースを歌っているんだ。
そんなバックグラウンドがありながらもアルバムからリードシングルとしてリリースされ、全米チャート、ニュージーランドチャートで1位を獲得。
これによって当時、14週に渡って全米チャート1位の座に君臨していたLos del Ríoの「Macarena」(1993)から首位を奪った形になりました。
Los del Río – Macarena (1993)
この「Macarena」についてはTygaがサンプリングしたことで話題になりました。
こちらも記事にしています。バックナンバーはこちら。
終わりに
Blackstreetの代表曲でありながら、当時グループ内では不評であったのがとても驚きました。
また収録しているアルバム「Another Level 」について後にTeddy Rileyが
このアルバムには代表曲がなかった
と明かすなど、400万枚以上のセールスになるとは思っていなかったようです。
意外なストーリーが多く盛り込まれているBlackstreet「No Diggity」をこの機会に改めて聞いてみてはいかがでしょうか。
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