DeBarge「A Dream」サンプリング名曲16選|2PacやBlackstreetが愛したピアノの正体と歌詞の真実

Soul / Funk
Soul / Funk1980年代
記事内に広告が含まれています。

DeBarge「A Dream」は、1983年にMotownから発売されたアルバム『In a Special Way』に収録されたR&Bバラードだ。シングルカットすらされなかったアルバム曲でありながら、そのピアノラインは2Pacの「I Ain’t Mad at Cha」、Blackstreetの「Don’t Leave Me」など、16曲以上のヒップホップ・R&B名曲でサンプリングされ続けた。曲を書いて歌ったのは、グループ唯一の女性メンバーであるBunny(バニー)。1983年に生まれた夢の旋律は、40年以上たった今もヒップホップの血管の中を流れ続けている。

スポンサーリンク

🎧 クイック概要:10秒でわかる基本データ

項目内容
アーティスト / 曲名DeBarge / A Dream
収録アルバムIn a Special Way(1983年)
主なサンプリング先2Pac「I Ain’t Mad at Cha」(1996)
Blackstreet「Don’t Leave Me」(1997)ほか多数
最高位シングル未発売(アルバム曲)
収録アルバムはBillboard R&Bアルバムチャートにランクイン・全米ゴールド認定
スポンサーリンク

「A Dream」のピアノは、なぜこれほど使われ続けるのか

「A Dream」はシングルではない。チャートの最高位もない。それなのに、1990年代から2000年代にかけてのヒップホップ・R&Bの名曲を辿っていくと、驚くほど頻繁にこの曲のピアノと出会う。

理由はいくつかある。まず、Elのプロデュースが意図的にミニマルに設計されていること。ピアノ・ベース・ドラムの分離が明確で、サンプラーで切り取りやすいループ構造になっている。次に、楽曲に染み込んだ感情の質——哀愁・憧れ・喪失——が普遍的な共感を呼び起こすこと。「ガールへの切ない想い」にも「ギャングスタの独白」にも「夜のR&B」にも、等しくなじむ懐の深さがある。

Discogsのユーザーレビューにはこんな言葉が残っている。

「現代のR&Bとヒップホップにおいてこれほどサンプリングされたアルバムは他に類がない。このアルバムが存在しなければ、そこからメロディやグルーヴを引用した95%のアーティストがキャリアを始められなかっただろう」

これは誇張ではない。

スポンサーリンク

2Pac、Blackstreet、Rich Boy……「A Dream」と、DeBargeファミリーが使われた名曲たち

「A Dream」のピアノフレーズは少なくとも16曲以上でサンプリングされている。その代表格を見ていこう。

最も有名なのが、2Pac feat. Danny Boyの「I Ain’t Mad at Cha」(1996年)だ。Daz Dillingerがプロデュースしたこの曲は、アルバム『All Eyez on Me』の収録曲で、「A Dream」のピアノとメロディをサンプリングして構築された感情的なトラックだ。ソウルシンガーのDanny Boyがフックを担当し、「A Dream」の哀愁を帯びた旋律が2Pacの言葉を包み込むように響く。同曲は米国ではシングル未発売だったため、Billboard Hot 100には入っていないが、ヨーロッパ・オセアニア向けに2Pacの死後2日目の1996年9月15日にシングルとしてリリースされ、英国チャートで13位を記録した。2Pacはその後も「Still I Rise」(1999年・2Pac & Outlawz名義、死後リリース)でも「A Dream」をサンプリングしており、DeBargeへの愛着の深さがわかる。

Blackstreet(ブラックストリート)の「Don’t Leave Me」(1997年)もまた「A Dream」のピアノを使った代表作だ。Teddy Rileyがプロデュースしたこのトラックでは、DeBargeのサンプルが曲全体のムードを形成している。夜のR&Bに「A Dream」のピアノが乗ると、ここまで深みが出るのかと感じさせる一曲だ。

Rich Boy(リッチ・ボーイ)の「Throw Some D’s」(2006年)も、DeBargeファミリーのDNAが宿った楽曲だ。ただしこちらがサンプリングしているのは「A Dream」ではなく、Bobby DeBargeとGregory Williamsが書いたSwitchの「I Call Your Name」(1979年)だ。DeBarge一族の音楽的遺産は、グループ本体のカタログだけでなく、BobbyたちがSwitch時代に残した楽曲にまで及んでいる。

Rich Boy - Throw Some D'sの意味とサンプリング元を解説!Switchの名曲とジム・ジョーンズの裏話とは?
Rich Boy(リッチ・ボーイ)の代表曲「Throw Some D's」を徹底解説!タイトルの意味「D's(デイトン)」の解説から、Switch「I Call Your Name」を使用した極上のサンプリング手法、ジム・ジョーンズが断った制作秘話、アンドレ3000参加のリミックスまで。2000年代サウス・ヒップホップの金字塔の全貌に迫ります。

なお「A Dream」以外にも、同アルバム『In a Special Way』の「Stay with Me」はAshantiの「Foolish」(2002年・Billboard Hot 100で10週連続首位、R&Bチャートでも10週連続首位)でサンプリングされた。またMariah Careyの「I’ll Be Lovin’ U Long Time」(2008年)にも「Stay with Me」のメロディが引用されている。BeyoncéはJay-Z feat.名義の「That’s How You Like It」でDeBargeの「I Like It」をサンプリングしており、DeBargeのカタログは90〜00年代R&B・ヒップホップに欠かせない素材集として機能してきたのだ。

「A Dream」はBunny DeBargeの夢だった

「A Dream」を書いたのは、グループ唯一の女性メンバーであるBunny DeBarge(バニー・デバージ)だ。弟のElがプロデュースを担当し、Bunny自身がリードボーカルを務めた。

曲のテーマは失恋後の夢だ。かつての恋人と「メロディに合わせて踊った」記憶が夢に現れるが、目が覚めると現実に引き戻される。その切なさが、静かなピアノラインに乗せて語られる。歌詞の一節「Last night I dreamed / That you were here with me / And we were in each others arms」(昨夜、夢を見た。あなたがここにいて、私たちはお互いの腕の中にいた)は、シンプルでありながら深く刺さる表現だ。

Bunnyは自身のウェブサイトでこの曲についてこう記している。

「(『A Dream』は)グループの1983年のゴールドアルバム『In a Special Way』における古典的なR&Bバラードで、私が作詞・リードボーカル・共同プロデュースを担当しました。あれは私の夢であり、私の声で語られるべき物語だったのです」

彼女のハイソプラノの声は、この曲に独特の儚さと温もりをもたらしている。男性メンバーたちが背景でハーモニーを重ねる中、Bunnyの声だけが前景にある。このアレンジそのものが、夢と現実の間を彷徨う女性の孤独を表現しているように聞こえる。

DeBarge時代、Bunnyはリードボーカルを務めることが少なかった。「I Like It」「Time Will Reveal」「Stay with Me」といったヒット曲への作詞関与は多いが、歌い手の中心はほとんどの場合Elだ。「A Dream」はBunnyが前面に出た、数少ない曲のひとつであり、だからこそ彼女にとって特別な意味を持っている。

スタジオのエンジニアが毎回かけ続けた曲

「A Dream」にまつわる小話がある。レコーディングエンジニアのBarney Perkinsが、グループがスタジオに来るたびにこの曲をかけ続けていたというエピソードだ。

Bunnyによれば、Perkinsはアルバム全体の中でこのクロージングトラックをとりわけ気に入っており、セッションのたびにかけて聴かせていたという。最終的に「A Dream」がアルバムの最後に収まったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。スタジオで繰り返し流れていた夢の歌が、アルバムの締めくくりになる——まるで映画のような話だが、これが現実に起きたことだ。

「A Dream」が生まれたアルバム:『In a Special Way』とは

「A Dream」が収録されているのは、DeBarge通算3枚目のスタジオアルバム『In a Special Way』(1983年9月23日リリース)だ。レーベルはMotown傘下のGordy Records。録音はカリフォルニア州バーバンクのKendun Recordsと、ウェストハリウッドのWestlake Audioで行われた。

アルバム制作にあたり、グループはMotownの創設者Berry Gordy(ベリー・ゴーディ)から完全なクリエイティブコントロールを与えられた。各メンバーがそれぞれリードボーカルを取る楽曲を担当するという方針で、数か月をかけて作り上げられた。

完成したアルバムのサウンドには、ひとつの「事故」が影響しているかもしれない。AllMusicのJason Eliasは、「ミニマルで芸術的なサウンド」の背景として、レコーディング中にホーン(管楽器)のトラックが消失してしまったという逸話を挙げている。意図しない「事故」が結果的にシンプルで洗練されたサウンドを生み出した——というのは、音楽史の皮肉な面白さだ。

アルバムからのシングル「Time Will Reveal」はBillboard R&Bチャートで首位を獲得(Hot 100では18位)。続く「Love Me in a Special Way」もR&Bチャート11位を記録し、アルバムは全米ゴールド認定を受けた。批評家の評価も高く、Robert Christgauは1983年のベスト10に選出し、1990年の1980年代ベストアルバムランキングでも7位に位置づけた。音楽評論家Milo Milesは2002年に「A+」評価を与え、「Motownのベストアルバムの中で最も知られていない傑作」と述べた。

ロサンゼルス・タイムズは「1980年代のポップ音楽においてまれな無垢さを持っている」と評し、フィラデルフィア・インクワイアラーは「夢のような心地よさ」と称えた。Lexington Herald-Leaderは「バラードとダンス音楽の間、ソウルとジャズの境界」と形容している。今日でもAllMusicは5つ星評価で推薦し続けている。

参加ミュージシャンが豪華すぎる:スティーヴィー・ワンダーまでいた

アルバム『In a Special Way』全体を通じた演奏陣も見逃せない。ベースにはNathan East・James Jamerson Jr.・Freddie Washingtonが参加。ドラムはRicky Lawson・Harvey Mason・Leon “Ndugu” Chanclerが担当し、ギターにはPaul Jackson Jr.も名を連ねている。

さらに驚くべきことに、アルバム収録曲「Love Me in a Special Way」にはStevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)がハーモニカソロで参加している。同じMotownファミリーだからこそ実現した豪華な共演であり、DeBargeがMotownから深く信頼されていたことを示すエピソードだ。

DeBarge(デバージ)とは何者か:音楽で家族を守った10人きょうだい

DeBarge(デバージ)は、1980年代にMotownから数々のヒットを生んだアメリカのR&Bグループだ。Bunny・Mark・Randy・El・Jamesという5人きょうだいで構成されていたが、一家には実に10人のきょうだいがいた。

出身地はデトロイト、ミシガン州。父親はフランス・イングランド系の白人元陸軍兵士、母親はアフリカ系アメリカ人とアメリカ先住民の血を引くゴスペルシンガーという複合的なルーツを持つ。1972年に家族はグランドラピッズへ移住した。父親からの家庭内暴力が絶えない環境の中で、きょうだいたちを守ったのが音楽だった。金銭的な余裕がなかったため、楽器は独学で覚え、ハーモニーも自分たちで磨いた。

音楽業界への扉を開いたのは兄のBobby(ボビー)とTommy(トミー)だ。1970年代中頃、2人はバリー・ホワイトがプロデュースしていたバンド「White Heat(ホワイト・ヒート)」に参加。その後Gregory Williams(グレゴリー・ウィリアムス)がMotown傘下のR&Bグループ「Switch(スウィッチ)」を結成し、Bobby・Tommyも加入。1978年のシングル「There’ll Never Be」がR&Bチャートトップ10入りを果たして、デバージ一族の名前をMotownに刻み込んだ。

その後Bobby・Tommyが弟妹たちをMotownに紹介。1981年にBunny・El・Randy・Mark・Jamesの5人が「The DeBarges」としてデビューし、翌1982年には「I Like It」と「All This Love」でR&Bチャートを席巻した。グループはMotownにとって、ジャクソン5以来の「ファミリーグループの後継者」として期待される存在だった。

James DeBargeとジャネット・ジャクソンの秘密婚:「悪夢のような出来事」

DeBargeはMotownの至宝として輝いていたが、一族の私生活は困難の連続だった。中でも最も世間を騒がせたのが、James(ジェームス)とJanet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の秘密結婚だ。

1984年、JamesとJanetは家族に内緒で極秘で結婚した。Jamesの薬物問題などを背景に婚姻は数か月で無効となったが、当時の衝撃は大きかった。ちなみにこのころ、兄BobbyはジャネットのLa Toya Jacksonと交際しており、La Toyaへのラブソングも書いていた。SwitchのヒットナンバーのいくつかはLa Toyaへの気持ちを込めた曲だったとグレゴリー・ウィリアムスが語っている。2つの音楽王朝が奇妙な縁で交差していた時代だ。

兄のBobby DeBargeは1988年にグランドラピッズで薬物密売の疑いで逮捕・有罪判決を受け、ウィスコンシン州の刑務所で5年の刑に服した。服役前にはすでにHIVへの感染を家族に打ち明けていた。1993年に釈放後はグレゴリー・ウィリアムスのカリフォルニアの自宅に身を寄せ、1994年には刑務所で書きためた曲を録音。その成果が最後のアルバム『It’s Not Over』として1995年8月に発売された。その後ミシガンに戻り、グランドラピッズのホスピスで最後の日々を過ごした末、1995年8月16日に39歳でエイズ関連の合併症により死去した。この損失はElに深刻な影響を与えたという。

Elは1986年にグループを離れてソロ転向し、映画『ショート・サーキット』主題歌「Who’s Johnny」でBillboard Hot 100 3位・R&Bチャート1位という大ヒットを記録した。しかし薬物依存との闘いが繰り返しキャリアを中断させた。2010年にアルバム『Second Chance』でカムバックし、グラミーノミネートを受けるなど評論家から高く評価された。Bunnyはゴスペルアーティストとして独立し、現在も活動を続けている。Tommy DeBargeは2021年10月、64歳で腎不全により死去した。

これだけの苦境にもかかわらず——いや、あるいはそれゆえに——「A Dream」が内包する「夢と現実の境界線」というテーマは、DeBarge一族自身の物語と深く重なっている。

まとめ:シングルにもならなかった曲が、なぜ名曲になったのか

「A Dream」は1983年のリリース時、シングルにすらならなかった。チャートの数字もない。それでも40年以上にわたってヒップホップとR&Bの核心部で生き続け、2Pacの告白に寄り添い、Blackstreetの夜を彩り、DeBargeファミリーのDNAを受け継いだSwitchの「I Call Your Name」はRich Boyのキャデラックを走らせた。

Bunnyが書いた「夢の中でのダンス、目が覚めたときの孤独」というテーマは、サンプリングされるたびに新しい意味を与えられてきた。彼女自身が経験した光と影——家族の才能と崩壊、ゴスペルから世俗音楽へ、夢のMotown時代と苦境——が、「A Dream」というタイトルに重なって聞こえる。

2Pacの「I Ain’t Mad at Cha」を聴いて「このピアノの元ネタは何だ?」と検索した若いリスナーたちが、今もDeBargeとBunnyの歌声に辿り着いている。「A Dream」のピアノは、今日もどこかのトラックに潜んでいる。あなたが知っているあの曲の中に。

関連記事はこちら

「Between the Sheets」とは?Biggie「Big Poppa」元ネタ曲|100曲以上サンプリングされたR&B史上最重要スロウジャム
Between the Sheetsは、1983年にThe Isley Brothersが発表したR&Bスロウジャムの名曲。The Notorious B.I.G.の「Big Poppa」をはじめ100曲以上にサンプリングされたヒップホップ史上屈指のビートである。本記事では制作背景、サンプリング例、楽曲の魅力を詳しく解説する。
The Emotions「Best of My Love」元ネタ解説|サンプリング曲・イーグルスとの違い・Mariah Careyとの関係まで
1977年の名曲、The Emotions「Best of My Love」を徹底解説。Maurice White(Earth, Wind & Fire)のプロデュース背景、Billboard1位の記録、Wanda Hutchinsonのファルセット、De La SoulやMariah Careyなどへのサンプリング影響、イーグルスの同名曲との違いまで詳しく紹介。
スポンサーリンク
musicdictionary2021をフォローする




コメント

タイトルとURLをコピーしました