Nas (ナズ)が1996年に発表した「If I Ruled the World (Imagine That)」は、彼のキャリアにおける転換点となった、まさに歴史的な一曲である。
セカンド・アルバム『It Was Written』の先行シングルとしてリリースされたこの曲は、Trackmastersによる洗練されたプロダクションと、当時Fugeesで時代の寵児となっていたLauryn Hill (ローリン・ヒル)の客演が融合したことで、Nasをストリートからメインストリームへと押し上げた立役者となった。この一曲の成功が、彼の商業的ブレイクスルーを決定づけたと言える。
Nas feat. Lauryn Hill – If I Ruled the World (Imagine That) (1996)
批評の寵児から大衆のヒーローへ
1994年のデビュー作『Illmatic』は、批評家から「ラップの金字塔」と絶賛されたが、商業的な成功という点では爆発的とは言えなかった。ストリートの純粋な評価を得た後、Nasはより大きな聴衆に届く必要性を感じていたのだ。
そのため、セカンド・アルバム『It Was Written』では、制作陣にTrackmastersなど当時の売れっ子プロデューサーを起用し、サウンドをより洗練させ、大衆性を意識した主流寄りの路線へと大胆に舵を切った。この方向性の変化は、初期のファンからは賛否両論を呼んだが、「If I Ruled the World」は、この戦略が見事に功を奏したことの証明であった。この曲こそが、Nasというアーティストのネームバリューを決定的に押し上げたのである。
伝説の秘話:「隠された歌姫」ローリン・ヒル

楽曲のプロデュースを担当したTrackmastersは、LL・クール・Jやウィル・スミスなど、当時のヒットメーカーであり、彼らの手腕がこの曲の成功の土台を築いた。
Nasは、このコラボレーションについて「自分には変化が必要だと感じていて、その当時最高の存在だったTrackmastersと手を組んだ」と語っている。
そして、この曲にはヒップホップ史に残る有名なエピソードがある。それは、客演にLauryn Hillが参加しているにもかかわらず、Nasが当初、彼女の名前を意図的に伏せて曲を発表したことだ。
彼は、当時のFugeesが爆発的な人気を誇っていたため、彼女の存在が純粋にNasの音楽に向けられるべき注目を奪ってしまうことを懸念したという。セカンドアルバムへの期待を純粋に保ち、「余計な先入観なしで曲を聴かせたい」という彼の思惑があったのだ。
Nasは、「最初は白ラベル(アーティスト名を伏せた形)で出して、誰にも知られないようにしていた」と明かしている。リリースから2、3週間後に彼女の参加が明かされると、すでに勢いを増していた楽曲への熱狂はさらに広がり、まさに社会現象となったのである。
楽曲構造とユートピアの夢想
この曲は、複数のソウルやファンクのクラシックを巧みにサンプリングしている。
- Whodiniの「Friends」(1984年)のビート
- Kurtis Blowが1985年に発表した同名曲「If I Ruled the World」のフック
- The Delfonicsの「Walk Right Up to the Sun」(1972年)のコーラス
こうしたサンプリングの重ね合わせが、当時のラジオやクラブで強烈に耳に残るフックを生み出したのだ。
そして、Lauryn Hillが歌い上げる叙情的なコーラスは、Nasの描くハードなラップと見事な対比を成している。
歌詞の中でNasが描くのは、「もし自分が世界を支配できたなら」という理想のビジョンである。彼は、警察の取り締まりや裁判がなく自由に生きられる世界、刑務所の囚人や政治犯が解放される社会、歴史の歪みから解放された教育などを夢見ている。
同時に、ストリートの現実、貧困、差別といった苦しみも生々しく語られる。この楽曲は、ストリートのリアルと、そこから抜け出してよりよい未来を築きたいという強い夢想が交錯する、Nasの社会的な理想の物語なのだ。Lauryn Hillのサビは、その理想を「愛」と「希望」のイメージで包み込んでいる。
ビジュアルと歴史的評価
ミュージックビデオは、映像作家Hype Williamsが監督を務め、高予算で制作された。Nasが「支配者」や「街のヒーロー」として描かれる場面と日常のストリート風景が交差し、曲のメッセージを視覚的に拡張している。
さらに、ビデオにはAZやCormega、Mobb Deep、そしてFugeesの面々など、当時のNYヒップホップ・シーンの重要人物がカメオ出演しており、90年代NYの「集合写真」としても機能しているのが興味深い点である。
商業的にも、全米シングルチャートで最高位53位を記録したほか、国際的にも合計8カ国のトップ10入りを果たすなど、グローバルな支持を獲得した。この成功は、2021年6月にRIAAによるプラチナ認定として改めて証明されている。
そして、本曲は1997年(第39回グラミー賞)の「Best Rap Solo Performance」にノミネートされ、Nasのキャリア初期の重要な評価を確定させた。
「If I Ruled the World (Imagine That)」は、Nasのリリカルな魅力Lauryn Hillの歌唱が出会った瞬間であり、90年代中盤のヒップホップがより大きな聴衆へ届く転換点を象徴する、不可欠な一曲だと言えるだろう。





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