The Pharcyde「Runnin’」徹底解説|J Dillaが生んだ名ビートとサンプリング、走り続けた90年代のリアル

1990年代
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1995年、西海岸ヒップホップの熱気の中で産声を上げたThe Pharcyde(ザ・ファーサイド)の「Runnin’」。この曲は、単なるヒットチャートの一曲という枠を超え、30年近く経った今もなお色褪せない「時代を超越した名作」として君臨している。

なぜこの曲は、これほどまでに人々の心を掴んで離さないのか。そこには、若き天才J Dillaが仕掛けた音の魔法と、グループが直面していた瑞々しくも痛切な現実が刻まれている。

The Pharcyde – Runnin’ (1995)

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変化の予兆:無邪気な季節の終わり

「Runnin’」は、彼らのセカンドアルバム『Labcabincalifornia』のリードシングルとして世に送り出された。

1992年のデビュー作『Bizarre Ride II the Pharcyde』で見せた、ユーモア溢れる無邪気なスタイルは影を潜め、本作にはどこか内省的で、影のあるトーンが漂っている。メンバーのSlimkid3は、後年のインタビューで、デビュー後に業界や周囲からのプレッシャーが急激に増していったことを振り返り、「楽しいだけではいられなくなった時期だった」と語っている。

ギャングスタ・ラップが全盛だった当時の西海岸において、彼らが選んだのは「強さ」の誇示ではなく、自らの「脆弱さ」を見つめる道だった。その精神状態を象徴するのが、この「Runnin’」という楽曲である。

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J Dillaという革新:あえて「ズレ」を生む美学

この曲の心臓部を作ったのは、当時“Jay Dee”と名乗っていた若き日のJ Dillaだ。

彼のプログラミングは、当時の常識からすれば異質だった。機械的な正確さを拒むように、わずかに「揺れ」や「ズレ」を伴うキックとスネア。メンバーのFatlipでさえ、初めてそのビートを聴いたときには「ラップしづらい」と戸惑ったという。

しかし、そのオーガニックで流動的なグルーヴこそが、ジャズの空気感をヒップホップに完璧に溶け込ませる鍵となった。この手法は後にネオソウルやオルタナティブ・ヒップホップの礎となり、J Dillaの独創的なスタイルを世界に知らしめる原点となった。

緻密に編み込まれたサンプリングの層

トラックの核となるのは、ブラジル音楽の情緒を纏ったジャズの名曲、Stan Getz & Luiz Bonfáの「Saudade Vem Correndo」だ。

  • ポルトガル語で「走る」を意味する“Correndo”という言葉を含むこのサンプルが、曲全体に切なくも美しい疾走感を与えている。
  • フック部分には、Run-D.M.C.「Rock Box」からスクラッチされた「run」の声が響く。
  • さらにJames Moodyのジャズ・ボーカル的フレーズなども用いられ、サンプリング文化の芳醇さを物語っている。

Stan Getz & Luiz Bonfá – Saudade Vem Correndo (1963)

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「走る」ことの真意:逃避か、自己探求か

タイトルの「Runnin’」が意味するのは、警察から逃げるような単純な逃走劇ではない。ここで描かれているのは、「不安」「プレッシャー」「過去の自分」から逃げ出したいという、誰もが抱く普遍的な葛藤だ。

リリックには、成功への期待に押しつぶされそうな焦燥感と、「自分たちはどこへ向かっているのか」という問いが滲む。 「何かを追いかけているようで、同時に何かから逃げている」 そんな矛盾した感情を、メンバーそれぞれが自らの経験として語るスタイルは、遊び心を超えた成熟した表現へと進化していた。

ミュージックビデオで、メンバーが街をひたすら走り続ける姿も、単なる演出ではない。Fatlipは後年のインタビューで、あのミュージックビデオは単なる演出ではなく、当時の自分たちの精神状態にかなり近いものだったと振り返っている。止まれば何かに追いつかれてしまう――そんな切実な空気感が、都会のストリートの風景とともに視覚化されている。

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栄光と、その後に残されたもの

「Runnin’」は商業的にも大きな成功を収めた。米ビルボード・ホット100で55位、R&Bチャートで35位に達し、グループ最大のヒット曲のひとつとなった。

しかし、皮肉にもこの曲の成功と前後して、グループ内の亀裂は深まっていく。制作方針の食い違いやDillaとの距離感を巡る対立。やがてFatlipはグループを離れ、この曲は図らずも彼ら「黄金期」の終わりを告げる象徴的な一曲となった。

世代を超えて受け継がれるDNA

その影響力は、リリースから約30年が経とうとする現在も、衰える気配を見せていない。

  • Mýa「Fallen」
  • Wiz Khalifa「Name on a Cloud」
  • Juice WRLD「Make Believe」 ジャンルや世代を越えた多くのアーティストたちが、この曲にリスペクトを捧げ、そのエッセンスを自らの血肉としている。

Mýa – Fallen (2003)

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なぜ私たちは今も「Runnin’」を聴くのか

「Runnin’」が普遍的な名曲であり続ける理由。それは、美しいジャズサンプリングやJ Dillaの革新的なビートもさることながら、そこに「逃げ続けながらも、もがき続ける若者たちのリアルな肖像」が刻まれているからだ。

成功しても消えない不安、前に進んでいるのか分からない焦燥。それらは90年代の彼らだけのものではなく、今を生きる私たち自身の姿でもある。

この曲は、走り続けるしかなかった若きアーティストたちの記録であり、同時に、立ち止まることを許されない現代を生きる私たちの心を映し出す鏡なのだ。

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