元ネタ・サンプリング JAY-Z feat. Rihanna & Kanye West – Run This Town (2009) JAY-ZとプロデューサーのNo I.D.がこの曲について口を開く

2000年代
2000年代J
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2009年、JAY-Z (ジェイ・Z)「The Blueprint」(2001)「The Blueprint 2: The Gift & The Curse」(2002)に続くシリーズ3作目となるアルバム「The Blueprint 3」をリリース。

このアルバムは発売初週に47万枚以上を売り上げ、JAY-Zにとって11枚目の全米チャート1位を獲得し、ビルボード50年以上の歴史の中でElvis Presley(エルビス・プレスリー)を抜いて、ソロアーティストとして最も多くアルバム1位を獲得した作品となりました。

今回はこのアルバムから、Rihanna (リアーナ)Kanye West (カニエ・ウェスト)をフィーチャーした「Run This Town」(2009)をピックアップ。

ここでは、この曲と元ネタについて解説します。

JAY-Z feat. Rihanna & Kanye West – Run This Town (2009)

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“Run This Town” 楽曲情報

リリース日
2009年7月24日

レーベル
Roc-A-Fella Records
Roc Nation
Atlantic Records

プロデューサー
Kanye West
No I.D.

元ネタ・サンプリング
The 4 Levels of Existence – Someday in Athens (1976)

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“Run This Town” 元ネタ・サンプリング情報

The 4 Levels of Existence – Someday in Athens (1976)

元ネタになったのは、ギリシャのサイケデリック・ハードロックバンドThe 4 Levels of Existence「Someday in Athens」(1976)です。

この曲は、彼らが唯一リリースしたアルバム「The 4 Levels of Existence」(1976)に収録されていますが、リリース当時は500枚限定で発売され、その後メンバーは3年間の兵役に就くことになったと、バンドメンバーのAthanasios Alatasは明かしています。

アルバムを出してもオーディエンスは増えなかったと思います。
発売後26ヶ月間兵役につかねばならず、その間にレコードがどうなったか、私たちは知る由もなかった。
その後、自分自身を見つけようとしたけど、すべてが変わってしまっていて、みんなそれぞれの道を歩み、今日までずっと友達のままでした。
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「Run This Town」についてJAY-Zが口を開く

「Run This Town」は全米チャート2位、世界10カ国のチャートでトップ10入りを果たし、グラミー賞を2部門受賞するなど、この年を代表する1曲となりました。

ゲスト参加したRihannaは、この年の初めに元恋人Chris Brownから受けたDV問題後、初めて公にアーティスト活動を再開した作品となり、さらにJAY-Zはこの曲が当初Rihannaのための曲であったことを明かしています。

Def Jamとの契約が順調に進み、素晴らしい形で終わったけど、これは「The Blueprint 3」で送るふさわしいメッセージのように感じたんだ。
この曲は、Roc Nationの設立、つまり我々の旗を大地に立てることを歌っているんだ。
俺が見つけた2人の偉大なアーティスト、Kanye WestとRihannaと提携したんだ。
元々はRihannaのデモだったんだけど、別の方向に持っていったんだ。
曲全体が行進曲のような、戦いの叫びのような感じにしたかった。
モハメド・アリは「Me,We!」という史上最短の詩を残している。
俺は「We Are!」だ。

またこの曲は、Kanye Westと多くのヒット曲を手掛けたNo I.D.がプロデュースしており、Rihannaがこの曲のデモを放棄した後、JAY-ZKanye Westが切望していたとNo I.D.は明かしています。

あれは最初、Rihannaの曲だったんだ。
彼女がハワイに来て、俺らが作ったんだ。
彼女のためにいくつか曲を作ったんだけど、そのうちの2曲が「Run This Town」とDrakeの「Find Your Love」だったんだ。
彼女はハワイにやってきて、曲をカットした後にパスしたんだ。
みんな「え、パスなの?」ってなったよ。
JAYはそれを聞いて「これはもう俺の曲だ」って言った。
Kanyeはそれを聞いて「いや、JAYにその曲を渡すな、それは俺のだ」って(笑)
そしたらJAYが俺に「Kanyeにその曲を渡さないでくれ」って言うんだ。
それでJAYに渡したら、結局Kanyeがバースを入れることになったんだ。
思い出に残る瞬間だったね。
グラミー賞を受賞したけど、あの3人が参加したら、グラミー賞を獲るのが当たり前なんだ。
あれは商業的な曲には聞こえないモンスターだったよ。
純粋なヒップホップのビートで、従来のポップな曲よりもダークな感じだったね。

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