ヒップホップの黄金期を支え、波乱に満ちた人生を鮮烈な音楽へと昇華させた一人の表現者が、静かにその幕を閉じた。
2026年1月12日、アーティストでありプロデューサーのJohn Forté(ジョン・フォルテ)が、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤードにある自宅で急逝した。享年50。あまりにも早すぎる別れに、音楽界には深い悲しみと衝撃が広がっている。
彼の足跡を辿ると、そこには単なるミュージシャンの枠には収まらない、知性と葛藤、そして再生の物語が刻まれていた。
ブルックリンから名門校へ:異色のバックグラウンド

1975年1月30日、ニューヨーク・ブルックリンのブラウンズヴィルで生まれたフォルテは、幼少期から特筆すべき才能を示していた。クラシック音楽の英才教育を受け、ヴァイオリンを奏でる少年時代を過ごす。この時の経験が、後に彼が紡ぎ出す複雑で情緒豊かな音楽性の土台となった。
その知性は音楽に留まらず、奨学金を得て名門フィリップス・エクセター・アカデミーへ進学し、その後はニューヨーク大学で音楽ビジネスを専攻した。複数の媒体で若い頃にクラシック音楽やギターとの出会いが彼の音楽性に影響したと語っている。
Fugeesとの出会いと「黄金時代」の熱狂
1990年代初頭、フォルテはLauryn Hill(ローリン・ヒル)を通じてFugees(フージーズ)のメンバーと運命的な出会いを果たす。 1996年、ヒップホップ史に燦然と輝く名盤『The Score』で作曲・制作の一部に関わり、同作の成功でグラミー賞ノミネートの栄誉を得た。
「俺たちは単なる仲間ではなく、家族だった」と彼は後に語っている。また、ワイクリフ・ジョンやA Tribe Called Questらと共演した「Rumble in the Jungle」などのコラボレーションも、彼の多才さを証明するものだった。
Fugees – Family Business
挫折、投獄、そして奇跡の帰還

1998年、ソロデビューアルバム『Poly Sci』をリリース。豪華なゲストを迎えた野心作であったが、商業的な成功を収めることは難しかった。彼はこの時、グループの看板を離れて一人で立つ厳しさを痛感したという。
しかし2000年、ニュージャージー州の空港でコカイン所持と配布の容疑で逮捕され、14年の懲役判決を受けた。「人生で最も暗い瞬間」と振り返る刑務所生活の中で、彼は一度、音楽を完全に諦めかけた。
しかし、一人の受刑者から手渡されたギターが、彼に再び火を灯した。この苦難の時期、アーティストのCarly Simon(カーリー・サイモン)ら多くの支持者が減刑を求めて奔走し、2008年、ジョージ・W・ブッシュ大統領によって刑期の一部が減刑され、約7年の服役後に出所した。
魂の再生と、家族と過ごした晩年

出所後のフォルテは、以前にも増して精神性や社会的テーマを深く掘り下げるようになった。2021年のアルバム『Vessels, Angels & Ancestors』では、世界の混乱と向き合いながらも希望を捨てることのない、魂の再生を描き出した。彼はこの作品を「自分の子供たちへのタイムカプセルだ」と語っていた。

私生活では2017年に写真家のLara Fuller(ララ・フラー)と結婚。マーサズ・ヴィニヤードのチルマークという静かな土地で、一男一女の父として穏やかな日々を過ごした。「家は僕の避難所であり、創造力が形になる場所だ」と話し、地元のコミュニティや友人との絆を大切にしながら、音楽制作の手を止めることはなかった。
遺されたメッセージ
2026年1月12日、自宅で倒れているフォルテが発見された。チルマーク警察によれば、不審な点はなく、現在は検視官による死因の調査が進められている。
訃報を受け、かつての戦友たちが次々とメッセージを寄せた。
- Lauryn Hill:「ジョンは紳士であり、学者のような心を持ち、深い魂を宿した親友だった」
- Wyclef Jean:「彼は月に一度は新しいアイデアを持って現れた。その創造力は止まることがなかった」
- Natasha Bedingfield:「彼と未発表の音楽や夢について語り合った時間が、今では本当に重く感じられる」
ジョン・フォルテは、音楽を通じて愛を広げ、人々を繋ごうとした。その人生は栄光と挫折の波に揉まれながらも、最後には静かな愛と希望に辿り着いた、一つの壮大な物語のようである。彼が遺した音楽とストーリーは、これからも未来のアーティストたちの行く先を照らし続けるだろう。



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