ロンドンでスリランカのタミル人の両親のもとに生まれたM.I.A.は、生後6ヶ月で家族とともにスリランカ北部のジャフナへ移住し、幼少期にスリランカ内戦による移住を経験し、11歳で難民としてロンドンに一家で戻ってきました。
この戦争が彼女の芸術性に決定的な影響を与えることになり、2005年に彼女が発表したデビューアルバム「Arular」は、彼女の父親がタミル人独立運動に参加した際に名乗った名前をタイトルにしたものです。
2007には、母の名を冠したセカンドアルバム「Kala」を発表し、母の人生の苦悩を作品のテーマとしています。
このアルバムから、アメリカのプロデューサーDiploとの共同制作した3枚目のシングル「Paper Planes」(2007)が全米チャート4位を記録し、グラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされています。
ここでは、この曲の元ネタについて解説します。
M.I.A. – Paper Planes (2007)
“Paper Planes” 楽曲情報
リリース日
2007年8月8日
レーベル
Interscope Records
XL Recordings
プロデューサー
M.I.A.
Diplo
元ネタ・サンプリング
The Clash – Straight to Hell (1982)
“Paper Planes” 元ネタ・サンプリング情報
The Clash – Straight to Hell (1982)
元ネタになったのは、イギリス、ロンドンで結成されたパンクロックバンドThe Clash (ザ・クラッシュ)の「Straight to Hell」(1982)です。
この曲は彼らの5枚目のアルバム「Combat Rock」(1982)に収録されており、アルバムは彼らのキャリアで最高位となるUKアルバムチャート2位を記録。
アルバムから4枚目のシングルとしてリリースされたこの曲は、イギリスとアメリカの視点から移民をテーマにした曲で、M.I.A.のバックグラウンド重なり、サンプリングしたのかもしれません。
また、このアルバムのリリース後、The ClashのドラマーTopper Headonはヘロインとコカインによる薬物中毒でグループを脱退し、他のメンバーからも慕われていた彼を失うと同時に、メンバー間の不和が生じ、翌年にはギターリストのMick Jonesが脱退することになりました。
M.I.A.が「Paper Planes」について明かす
「Paper Planes」のコーラスに銃声やレジの効果音が加えられていますが、これは彼女自身の過去の経験からきており、銃声は日常生活の一部になっていることを明かしています。
あなたが移民であれば、どこかを離れ、大体の場合は戦争から逃げてきているの。 銃声は日常生活で、私たちのカルチャーの一部になっているわ。 もし、あなたが銃撃戦や暴力、爆弾や戦争にさらされているのなら、私はその音を思考の裏付けにできるの。 私は撃たれたことがあるから、銃声には慣れているわ。 文句があるなら、私を撃った奴らに聞いてみて。
そう明かした「Paper Planes」は、世界各国でチャートインを果たし、多くの音楽メディアが「2000年代のベストソング」のひとつに挙げるなど高い評価を得ました。
また、NPR Musicも2018年に「21世紀の女性による最高の曲200」の1位に選出しており、M.I.A.はリリースから10年以上経ったこの曲について次のように明かしています。
実はとても光栄に思っていて、NPRにありがとうと言いたい。 素晴らしいことよ。 私は何事にも1番になったことがないの。 この曲を作った人として認められるなんて、私の旅において間違いなく歴史的な瞬間だわ。 私にとってこの曲はとても色々な思いがあるから、嬉しいことだよ。 この曲は、金融危機や移民問題があった時代を象徴しているし、ジャンルの混在も表現している。 私にとって、この曲にはたくさんの思い出と意味があるんだ。 今でもみんながこの曲を好きでいてくれるのは、ちょっと驚きだね。
この機会に、元ネタと合わせて聴いてみてはいかがでしょうか。
コメント