ニューヨークという街を象徴する歌は数多い。しかし、2009年にJAY-Z (ジェイ・Z)とAlicia Keys (アリシア・キーズ)が放った「Empire State of Mind」ほど、この都市の光と影、そしてひとりの男の野心を完璧に封じ込めた楽曲は他にないだろう。
これは、単なるヒットソングの枠を超え、ヒップホップが「街の公式な声」として受け取られるようになった瞬間を刻んだ記録である。この曲がいかにして生まれ、なぜ伝説となったのか。その物語を紐解いていく。
Jay-Z feat. Alicia Keys – Empire State of Mind (2009)
始まりは、ロンドンの空の下で
意外なことに、この「ニューヨーク賛歌」の種が蒔かれたのは、ニューヨークから遠く離れたロンドンだった。
ソングライターのAngela HunteとJnay Sewell-Ulepicは、滞在中のロンドンで強烈なホームシックに襲われていた。その切実な想いを書き殴ったデモが、すべての始まりである。
しかし、当初この曲の運命は明るいものではなかった。JAY-Zのレーベルに提出されたものの、反応は芳しいものではなく、積極的に進められることはなく一度は棚上げされる形となった。Hunteは後に、「ニューヨークをあまりにストレートに描きすぎていて、JAY-Zには合わないと思われたのかもしれない」と振り返っている。
お蔵入り寸前だったこの曲を救ったのは、一人の出版担当者だった。その担当者が曲の可能性を信じ、再びJAY-Z本人に届けたことで、歴史が動き出す。
JAY-Zが刻み込んだ「剥き出しのリアル」

デモを聴いたJAY-Zは、サビの「New York, concrete jungle where dreams are made of」という一節に、瞬時に心を奪われた。
だが、彼はそのまま歌うことを良しとしなかった。JAY-Zはラップのバースをすべて書き換え、自分自身の半生を叩き込んだのだ。
- ブルックリンの公営住宅で過ごした幼少期
- 生きるためにドラッグディーリングに手を染めていた暗い過去
- そして成功を掴み、富と成功の象徴として語られるTribeca、世界の中心とも言えるタイムズスクエアへと辿り着いた現在
この曲で語られるニューヨークは、観光客が見る煌びやかな景色ではない。JAY-Zという男が生き抜いてきた、痛々しいほどにリアルな街の記録なのだ。
Alicia Keysという「都市の魂」

JAY-Zは、この曲の成否は「声」にかかっていると確信していた。そこで白羽の矢を立てたのが、Alicia Keysである。
当初は別のシンガーという案もあったが、JAY-Zは「ニューヨークを象徴する声」が必要だと譲らなかった。クラシックピアノの素養を持ち、R&Bとポップスを自在に行き来する彼女は、まさに適任だった。
Aliciaの力強くもエモーショナルな歌声は、ストリートの現実を語るJAY-Zと、希望を象徴する「都市の響き」を見事に繋ぎ合わせた。彼女自身もインタビューでたびたび、「この曲はニューヨークに育てられた私自身の物語でもある」と語り、この楽曲に対する深い共感を示している。
70年代のソウルが繋ぐ「街の記憶」
あの印象的なピアノのフレーズには、巧みな仕掛けが施されている。元ネタは、1970年のThe Moments (ザ・モーメンツ)「Love on a Two-Way Street」からのサンプリングだ。
The Moments – Love on a Two-Way Street (1970)
プロデューサーのAl Shuxは、ピアノをあえて「街の背景」として配置し、二人の主役を引き立てることに徹した。70年代ソウルが持つ切なさと温度感を2000年代のビートに融合させることで、ニューヨークという街が持つ「過去と現在の連続性」を表現したのである。
また、象徴的なフレーズ「Concrete jungle」も示唆に富んでいる。本来、無機質なコンクリートと生命力溢れるジャングルは矛盾する概念だ。しかし、この街は夢を叶える場所であると同時に、弱者を食い尽くす残酷な場所でもある。JAY-Zはこの一行で、都市の本質を鮮やかに言い切ってみせた。
辿り着いた「王」の座
驚くべきことに、それまで数々の傑作を世に送り出してきたJAY-Zにとって、これがキャリア初の全米1位(Billboard Hot 100)獲得曲となった。
ストリートの底辺から成り上がり、レーベルの社長へと登り詰め、ついに「街そのものの象徴」へと進化した。この曲は、JAY-Zという一人の男のサクセスストーリーを完結させる祝砲でもあったのだ。
また、Alicia Keysは後に、自身が主役となる「Empire State of Mind (Part II) Broken Down」を発表している。JAY-Z版が外に向けた野心の記録なら、彼女のバージョンはピアノ一本で綴られる内省的な物語だ。同じ旋律から、立場や経験の違いによって全く異なるニューヨークが浮かび上がる点も、この楽曲の奥深さと言える。
Alicia Keys – Empire State Of Mind (Part II) Broken Down
結論 ― 時代を超えるアンセムとして
かつてニューヨークは、フランク・シナトラやビリー・ジョエル、あるいはNasといった偉大なアーティストたちによって語り継がれてきた。
「Empire State of Mind」がそれらの名曲と並び、特別な地位を占めているのは、ヒップホップが「街の公式な声」として広く受け止められるようになった瞬間を刻んでいるからだ。この曲の誕生以降、ニューヨークは過去を懐かしむだけの場所ではなく、「今もなお夢を生み続けるアクティブな街」として定義し直されたのである。
JAY-Zの不屈の人生、Alicia Keysの魂の叫び、そしてニューヨークという街の魔力。そのすべてが奇跡的なバランスで交差したとき、この曲は時代を超えるアンセムとなった。



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