Fugees (フージーズ)は、90年代初頭にWyclef Jean、Pras、Lauryn Hillの3人で結成されたラップグループです。
このグループの2作目にして最後のアルバム「The Score」(1996)は全米チャートで1位を獲得し、R&B/Hip Hopチャートでは8週にわたって1位を獲得。
グラミー賞では、ヒップホップグループとして初めて「最優秀アルバム賞」にノミネートされ、楽曲「Killing Me Softly」で「最優秀R&Bパフォーマンス賞」を受賞しました。
またアルバムは全世界で2200万枚以上を売り上げ、Spotifyでは1990年代にリリースされたラップアルバムの中で5番目に多くストリーミングされるなど、1990年代を代表するアルバムとなりました。
今回はこのアルバムから「Ready or Not」(1996)をピックアップ。
ここでは、この曲の元ネタについて解説します。
Fugees – Ready or Not (1996)
楽曲情報
Fugees (フージーズ)
結成 :1992年
ジャンル:Hip Hop, Reggae
メンバー:Lauryn Hill, Wyclef Jean, Pras
レーベル
Ruffhouse Records
Columbia Records
プロデューサー
Pras
Jerry Duplessis
Lauryn Hill
Wyclef Jean
元ネタ・サンプリング
Enya – Boadicea (1987)
The Delfonics – Ready or Not Here I Come (Can’t Hide from Love) (1968)
“Ready or Not” 元ネタ・サンプリング ①
Enya – Boadicea (1987)
元ネタになったのは、アイルランド出身のシンガーEnya (エンヤ)の「Boadicea」(1987)です。
アイルランドではU2に次いで2番目に売れたシンガーであり、全世界で7500万枚を売り上げ、アイルランドで最も売れたソロアーティストとなりました。
また、ニューエイジミュージックのパイオニアであり「Queen of New Age」とも呼ばれています。
彼女のこの曲は、デビューアルバム「Enya」(1987)に収録され、1992年に「The Celts」という新しいタイトルで再リリースされています。
その後、Fugeesがこの曲をサンプリングして話題になりましたが、この曲は彼女の許可もクレジットもなくリリースされ、Enyaのマネージャーは著作権侵害でグループを訴える準備を進めていたようです。
我々は同意せざるを得ないだろう。 エンヤの「Song of Boadicea」の非常に馴染みのある部分が、フージーズのヒットシングル「Ready or Not」のイントロと基調となるメロディとしてはっきりと聴くことができるんだ。 ソニー・レコードは、エンヤのサンプルの使用許可を求めていなかったことを認めている。 これは、見落としの大罪と言えそうだ。
マネージャーは激怒しましたが、Enyaはその後、Fugeesが反犯罪、反ドラッグのメッセージを込めたポジティブな曲であることを確認し、訴訟には踏み切らないことにしました。
しかし妥協案として、アルバム「The Score」のジャケットにEnyaをクレジットするステッカーが貼られています。
“Ready or Not” 元ネタ・サンプリング ②
The Delfonics – Ready or Not Here I Come (Can’t Hide from Love) (1968)
Fugeesの「Ready or Not」は、アメリカのソウルグループThe Delfonics (デルフォニックス)の「Ready or Not Here I Come (Can’t Hide from Love)(1968)をサンプリングしています。
彼らは1969年にセカンドアルバム「Sound of Sexy Soul」を発表し、この曲はアルバムからリードシングルとしてリリースされました。
1970年にはThe Jackson 5がこの曲のカバーをリリースし、Fugeesがネタ使いしたことで再び注目を集め、Missy Elliottをはじめ50曲以上でサンプリングされています。
The Jackson 5 – Ready Or Not (Here I Come) (1970)
Missy Elliott feat. Da Brat – Sock It 2 Me (1997)
終わりに
Fugeesの「Killing Me Softly With His Song」やSantanaの「Maria Maria」を手掛けたプロデューサーのJerry Duplessisは、この曲の制作について明かしています。
「Ready or Not」はマジックだったよ。 「Ready or Not」の裏にあるマジックは、実はサンプルだったんだ。 Wyclefは俺が買った最初のMPCでそれを思いついたんだ。 俺らはサンプリングの仕方を学んでいて、WyclefはDelfonicsのサンプルを思いついたんだ。あ れはThe Scoreのためにレコーディングした最初の曲でね。 このビートを作った時、ローリンはそこにいなかったね。 ローリンが来た時は、俺とローリンとエンジニアの3人だったよ。 ローリンがフックを歌い始めたら、俺のエンジニアが泣き出したんだ。 冗談抜きで、エンジニアが泣き出したんだぜ。 だって、あのフックを聴いてみると、韻を踏んでいないんだ。 音楽だけだったんだ。 そしてフックのかけ方・・・彼女は特別なんだよ。
この機会に、元ネタと併せて聴いてみてはいかがでしょうか。
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